コード・ブルー
劇場版も大ヒットでしたね
今回はコードブルーではなく、コード・スローとでもいいましょうか、スローコードの話をします
心肺蘇生の一つとして、slow codeとかshow codeと呼ばれるものがあります
Goldenring J.
"Code" or "no code" decisions.
N Engl J Med. 1979 May 3;300(18):1058.
スローコードってなんのこっちゃということですが
例えばこんな場面に出合いませんか?
医師 Aさんカテコラミンに反応しないか。なかなか難しい状況だな。これ以上の増量は難しいし、ここまでか……。
看護師 先生!Aさんの心拍数が延びています。
医師 DNAR取ってなかったけ? 家族に連絡しよう。
看護師 先生! 脈が触れません!
医師 いかん、心マしろ!
(20分後)
医師 やはり戻らんか…。厳しいな……。
看護師 家族に連絡つきましたが、到着まで15分ほどかかるみたいです。
医師 よし、家族が来るまでは蘇生を続けるぞ。傷つけない程度にやろう。
蘇生の見込みはほとんどないと自覚しつつ、家族が来るまでは続けようとか、形式的にやる「ふり」だけ続けておこうとか、そういった類のCPRをslow codeとかshow codeなどと呼ぶのです
この行為については、何度も論争を呼び物議を醸しています
「やるふり」というと聞こえが悪いですが
Slow codeをしている方は、家族の心情に思いを馳せているわけですし、ご本人を傷つけないようにと気遣いもしているつもりなわけで、最後まで一生懸命治療してくれたと感謝する患者家族がいることも事実でしょう
悪いことだと一蹴するのも難しい話です
ただ、CPR本来の目的は
「心拍を再開させて心停止に至った原因除去につなげること」
「原因除去までの時間稼ぎをすること」
なので
心拍再開の見込みがほぼないと考えていたり、原因の除去はまず無理だろうと考えながら患者さんに侵襲を加え続けるのは気が引けるというものです
後で家族からなじられたり、最悪の場合、訴訟を起こされたりするかもしれないという思いから長年続いてきた慣習だと思いますが、ヨーロッパの蘇生ガイドライン(https://cprguidelines.eu)では、明確に
「slow codeは欺瞞的で父性的な行いであり、医師患者関係を損ない、医療従事者の教育やトレーニングにおいても価値を損なう行いである」
と記載されています
要するに「するな」ということです
急変時には瞬間的に最大限の医療資源を割くのが望ましいとは考えます
病棟で急変したら、それは救急患者さんが発生したのと同義だからです
しかし、「急変」が予想される場合も存在します
予想された急変って、言葉自体はおかしいのですが……
前述のシチュエーションの場合、医師は目の前の患者さんにカテコラミンが効かず、治療の限界を感じています
遅かれ早かれ心停止に陥るという予想ができているわけで、この状態で心停止したとしても、それはそもそも急変と呼べるようなものではありません
しかし一般的には急変と呼ばれ、慣習的な急変対応(要するに心肺蘇生)がなされています
終末期における予想された急変においては、多くの場合心肺蘇生は意味をなさないものとなります
心停止に陥った場合、心拍再開しても治療の限界を抱えた心停止寸前の状態に戻るだけです
最悪の転機が予想される段階で、患者家族、できれば患者本人と治療方針の共有をしっかりとしておかねばなりません
少なくとも下記のことを伝えておかねばならないと思います
・最大限の介入をしているにもかかわらず、奏功する気配がない
・心停止に陥る可能性が非常に高い
・現行加療に反応しない場合は、それ以上の治療は侵襲を加えるだけになるので、心停止時には受け入れる準備をしてほしい
ちなみに、ありがちなパターンですが
「心停止時には心臓マッサージなどをしますか?」
などと患者サイドに聞いてはならないと思います
適応について我々が判断し、方針を示し、疑問点を解消し、他の選択を吟味した上で同意を得るというのがインフォームドコンセントの流れのはずです
ぜひともslow codeをやろうと思っている極端な推奨派はそんなにいないのではないかと思います
みんな、それが現時点でできる最良の一手だから仕方なくやるという消極的選択をしているのではないかと思います
死についての話をするのは勇気がいることですが、slow codeはできれば避けた方が良いはずなので、これも命を重んじる行為の一つであると信じて、真正面から向き合っていきたいと思います