台風が来るとは聞いていました
その日は当直明けで、遠方から来ているスタッフは早めに帰るよう指示し、自分も午前に帰宅しました
午後になり風が強くなって来て、ついに停電
情報収拾が難しくなりますが、スマートフォンのNHKラジオアプリで情報収拾
これは災害時には使えますので、覚えておいてください
ラジオから、かなり広い範囲で停電していることがわかりました
台風でここまでの被害がでてくるとは、恥ずかしながら想定外でした
夕方になり、家の中は暗くなり、携帯電話のライトや蝋燭を駆使して光源を得ます
携帯電話は情報源にも光源にも暇つぶしにもなるので大事な道具です
充電については、ポータブルの充電器をもっていたので、それでなんとかしのげました
おすすめは充電器と蓄電器が一体化したタイプのもの
自動車にコンセントをつけて自動車でも充電できるようにすれば重宝します
あと晴れていないと使えませんが、ソーラーチャージャーもおすすめです
携帯電話はともかく、湯沸かし器は電気でコントロールしていたので、お湯が使えなくなって風呂に入れなくなりました
ガスコンロを使って土鍋で米を炊きながらなんとか生活する状況です
平成最後の夏になんという昭和体験
(屋根があるだけ幸せ・・・妻に感謝・・・)
夜になっても停電は復旧の目処が立たず、医療機関にも影響が出始めます
病院によってはポンプで水を汲み上げているようで、電気が止まると水も使えなくなります
どこの病院がどの程度の被害を負っているのか分からなければ対策もできません
災害拠点病院の大事な仕事、周辺医療機関の安全確認をするという必要性がでてきます
院内DMATメンバーが招集されました
帰ったけどもう一回病院だ・・・
この状況で家を出て行くのは非常に心苦しかったですが、子供たちが寝たあと、遅ればせながらとりあえず院内の災害対策本部へ
周辺病院の安否確認のために、信号もつかずゴーストタウンのようになった街へ隊員が繰り出します
なんとか全ての情報を収拾したのが午前2時過ぎ
自宅に帰ったのが午前3時
幸い開いていたコンビニで氷を仕入れて帰宅
残っててよかった氷
ありがとうコンビニ
台風翌日は、昼になり電気がつかない周辺病院から患者さんを避難させたいという申し出があり、大阪でDMATが動くことになりました
幸いなことに電気が次々復旧し、当初想定された転院患者さんは転院の必要がなくなり、DMATとして改めて近隣病院や有床診療所のライフラインの確認作業をしてその日の活動を終了しました
若干の達成感と安堵の気持ちを胸に家に帰ったら真っ暗でした
パトラッシュ、僕はもう疲れたよ
台風翌々日は、北海道で大規模な地震が起こりました
こんなに重なるものかと思いますが、重なってしまったものは仕方ありません
停電でどんなに困るかということは身をもって知りましたので、なんとかしたいという気持ちもあります
同じように家が被災したまま活動しているDMATの仲間も前向きに活動しています
DMATの活動をしながら励まされています
頑張ろう日本
僕もがんばる
(電気は9月6日20時ごろに復旧してくれました。関西電力さん、本当にありがとうございます。)