先日、院内ICLSコースを開催しました
医療従事者向けの蘇生教育コースで、日本救急医学会が公認しています
僕はこのコースのディレクターの資格があるので開催権限があります
このコースでは一般人も可能なBLS(一次救命処置)のほか、マニュアル型除細動機を使用したり、薬剤投与をしたり、高度な気道確保(気管挿管)を行なったりと、実践的な二次救命処置も学んでもらうのです
当直明けでインスト参加の僕が突然胸痛を訴えて倒れたのでBLSを行うという、かなり不吉な症例提示から始まったコースですが、研修医が興味をもって参加してくれるならいくらでもピエロになります
当院では新入職員を迎える4月に研修医対象に開催する他、年に何回か全てのスタッフを対象にコース開催をしています
過去には事務の方々にも受けていただいたことがあります
(DMAT隊員ですが)
何をしなくてはいけないかということがわかっているのとわかっていないのとでは、サポートするときの態度も変わるはずなので、やって意味がないこととは思っていません
というわけで、今月から最前線で働いてもらう研修医に受講してもらったのですが、印象深い出来事がありました
このコースでは、蘇生の方法も学びますが、蘇生の目的と蘇生の中止プロセスも学びます
心停止患者さんの蘇生を中止するということは、死を迎えることを意味します
研修医たちは、蘇生の中止を決断するプロセスで最も躊躇しました
「え・・・やめても・・・いいんですかね?」
「ご家族さんってどうするんだろ・・・」
そんな声が聞こえてきました
高齢でほぼ寝たきり、食事量も減ってきて、本人や周囲の人は安らかに死を迎えようとしていたけど、意識が落ちたため家族が救急搬送したというようなケースはよくあります
あくまでも個人的な意見になりますが
蘇生をする目的はただ心臓を動かすことではありません
もちろん循環の維持をして、全身の酸素化の維持をしつつ重要臓器を守らなくてはなりませんし、最終的に自己心拍再開を得られなければ当然やる意味がありません
でも大事なのは、心停止に至った原因を除去することです
これがなくては心肺蘇生をする価値がなくなります
自己心拍再開してもまた心停止になることが目に見えています
もし改善可能な原因が見つかりそうもなかったり、蘇生後の生命維持があからさまに困難であったりする場合には、その蘇生行為はただただ傷つけているだけとなります
最大限の侵襲が許されるのは、治療をしているという確信があるからです
「やめてもいいのか?」という疑問と同時に、「続けてもいいのか?」という疑問も持ち続けなくてはなりません
「家族が望めばもう少し処置を継続する」という考え方もあるかもしれませんが、パフォーマンスのためだけに蘇生行為を行うというのは僕にはできかねることです
一生懸命やっている姿を家族に見せるために患者本人を傷つけていいわけがないと思います
もちろん、一旦蘇生して諸検査してみないことには、原因も分からなければ、それが改善可能かどうかももちろん分からないと言った状況はあると思います
そうした可能性は簡単に捨て去るべきではありません
冷静に、治療可能性を吟味する必要があります
蘇生中止の決断は基本的には医師にしかできないことです
ちょっとでも心拍再開の可能性があるのであれば、どんな状態でも30分から1時間は蘇生を試みるという人もいるかもしれませんし、厳しそうな証拠がいくつか集まった時点で早々に中止を決断する人もいるかもしれません
ここはどこまでやったらいいかという正解のない領域なので、ものすごく躊躇します
他人の命を天秤にかけるので究極です
毎回科学的に検証しつつ自分なりの線引きを作って、きちんとそれが判断できる医師になって欲しいと思いました
そしてできることなら、独りよがりにならずに、その場にいる全員と情報共有して、チームの総意として蘇生の見込みについてしっかり提示できるように成長して欲しいなと思っています
とかいいつつ、僕も日々考え続けています・・・
さて、そういうわけで研修医たちは無事蘇生講習を終えました
彼らには今後、日々の診療だけでなく、公衆衛生の一環として一般市民向けの蘇生講習に出向いて、この知識と技術を伝えていってもらおうかと思っています
蘇生見込みは搬送時点でほぼ決まっているといっても過言ではありません
蘇生の中止という悲しい場面に立ち会わないためには、救命のリレーをしっかりつないでいくしかないのです
全国の初期研修医ホヤホヤのみなさん
がんばりましょう!
もしICLSインストラクターとして活躍してくれる人が生まれてくれたら嬉しいな