前回の続き
東京オリンピックで、医療従事者のボランティアスタッフを無償で募集しており批判が集まっております
医療の提供、というか、プロの力を借りるときには対価が必要であるはずなのですが・・・
そういう概念が希薄なのではないかと感じずにはいられません
安全や健康に対して対価を払って、はじめてそれを得ているわけですから、対価がないのであればそれなりのものしか得られないというのが当たり前の事ではないかと思います
社会に対して持てる業をあますことなく提供したいと思っている医療従事者がほとんどだと思いますし、そのことに喜びを感じて、それにより自己実現をしている人も多いと思います
しかし、だから無償でよいという発想にいくのは、ちょっと暴力的すぎます
ドラマのセリフを借りるなら
やりがいの搾取
です
無償でボランティアスタッフを集めるのであれば、「足りない」などと言ってはなりません
本来得られるはずのないサービスを得ているわけですから、どんなに少しだったとしても、全てプラスのはずです
無償でできる範囲のものしか提供できないと受け止め、その範囲内で運営するしかないでしょう
飛行機や新幹線で急病人が発生したら「だれかこの中に医師の方は……」みたいな感じで呼びかけがなされます
僕できるだけのことはしたいと思っていますが、たまたまそこに医師がいなければ仕方がないですよね
毎回確実にどうにかしようと思うなら、航空会社が負担するか、みんながチケット代に上乗せするなりして、医療従事者を常駐させればよいわけです
船みたいに
オリンピックも同じじゃないかと個人的には思うのですが、どうなってるんでしょうか
やりたいかやりたくないかと言ったら、僕はやりたいのです
例えば
「水泳の試合会場で救護に当たって欲しい、有事の時以外は観戦していてもよい」
なんて言われたらよろこんで行きます
でも、何日もそこにいられるかというと・・・
自分の本来の業務を肩代わりしてくれる人を用意しなくてはなりませんし、それにもお金がかかります
電話相談の対応もやってくれと言われたらやりたいです
適切な医療機関に誘導したり、直接相談に乗ったり、本当にまずいときには本人の躊躇する気持ちを押し切って救急車呼んでもらったりと、誰かの役に立てるのではないかと思います
直接自分が適切と思う医療機関に診療可能か問い合わせたりすることもできるかもしれません
ただ、普段の業務自体が忙しく、趣味で何かすることさえ家族に申し訳ない気持ちを抱いているのに、無償でできるわけないんです
その時間、仮に働いたとして得られた賃金や、自分の代わりをお願いするのに必要な対価は用意されても良いのではと思ってしまいます
そうしないと、無償どころか損してしまいますから・・・
益々増える救急搬送へのニーズや救急医療への負担は増え続け、破綻への道を歩むことになるのではないかと危惧しています
僕個人の意見ではなく、友人救急医と話しているとよく話題にのぼります
破綻させたくありません
お金かけるところをもっと責任持ってみんなで選べばまだ間に合うのではないかという楽観的な思いもあるので、デーモン閣下の後に続き、#7119の啓発は積極的にしたいと思います
何にお金を払って、どういう社会にしたいのかという事を極めて現実的に考える必要があります
できるだけそうする機会を作っていきたいです